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ニューヨークのカルチャー発信地、ブルックリンのウィリアムズバーグにあるBrooklyn Brewery。ここは世界中から個性豊かなメンバーが集まるブルワリーとして知られています。チームには、クラフトビール界のカリスマとして有名な醸造家ギャレット・オリバー、元記者の創設者スティーブ・ヒンディをはじめ、ミュージシャン、俳優、アスリート、シェフ、科学者などが在籍。様々な才能を持つメンバーたちが、こだわりのビールを世界中に届けるために、日々ウィリアムズバーグに集まっています。
1988年の創設から今日まで、Brooklyn Breweryは、アート、音楽、そして地域の活性化を支援し続け、ブルックリンに根付いてきました。街の活気とともに成長を続け、今ではブルックリンのアイコンとも言えるブルワリーになっています。みなさんがニューヨークを訪れる際には、ぜひBrooklyn Breweryに足を運んでください。そして、ビールを味わい、スタッフの情熱を肌で感じみてください。
1980年代前半、スティーブ・ヒンディはAP通信の記者として、中東に滞在していました。現地ではイスラム教信仰により飲酒はご法度。しかし、仲の良いサウジアラビアの外交官たちは実は熱心なビール職人で、いつもビールでもてなしてくれました。スティーブは、中東で出会った、この味わい深いビールに魅了されました。そしてアメリカに帰国後、ブルックリンで新聞の編集者として働きながら、自宅でビール製造を開始。その後、近所の銀行員トム・ポッターとともに設立したのが、Brooklyn Breweryです。
今でこそ、アートと起業の街・流行の発信地として世界から注目されるブルックリンですが、当時はあまり活気がなく、治安も悪い地域でした。それはビールについても同様です。19世紀、ブルックリンは多種多様な移民のための個性豊かなブルワリーが多数存在し、アメリカ最大のビール生産地のひとつでした。しかし、20世紀に入ると原料価格高騰や法改正の影響を受け衰退。多数あったブルワリーも次々と撤退し、活気が失われていきました。
スティーブとトムは、そんなブルックリンのビール産業復権と街の活性化を目指して、あえてこの場所でブルワリーを設立したのです。最初は誰もが上手くいくわけがないと反対しましたが、それでも、地元とビールへの情熱が彼らを突き動かしました。
Brooklyn Breweryを代表するフラッグシップブランドBrooklyn Lagerは、そんなスティーブの街への想いから生まれたビールです。レシピのベースになっているのは、19世紀当時、ブルックリンで人気があったウィーンスタイルのラガー。軽くて爽快な味わいのビールが主流であった当時のアメリカに、豊かな味わいのBrooklyn Lagerは衝撃を与えました。スティーブ達が配達を始めると、瞬く間に噂が広がり、ファンが増えていきました。
豊かな味わいのビールを復権したスティーブ達は、地元のアーティスト・ミュージシャン・飲食店とともに、ビールとカルチャーのイベントを実施。ブルワリーの発展とともに街は活気を取り戻していきました。
Brooklyn Breweryのブリューマスター、ギャレット・オリバーは、ビールの歴史と醸造への豊富な知識はもちろん、映画と文学にも造詣が深いことで知られています。1980年代、イギリスでロックバンドのステージマネージャーだったギャレットは、とあるパブでカスク熟成のリアルエールと出会います。アメリカのビールとは異なる、豊かで複雑な味わいに感動し、音楽の世界からビール醸造の世界へと引き込まれていきました。
研究を重ね、技術を磨いていったギャレットは、ニューヨークシティ・ホームブルワーズギルドの代表に就任。そこで、スティーブ・ヒンディと出会い、後にBrooklyn Breweryの一員となるのです。ブリューマスターとして、ギャレットは、ビールの新しい可能性を引き出すべく、多様な味わいの商品を次々と生み出していきました。さらに、世界中で900以上のティスティングやビアディナーを開催。Brooklyn Breweryのビールを世界中の人たちに広めると同時に、世界各地の食や文化からインスピレーションを受け、コラボレーションビールやビアカクテルを開発することでクラフトビールの発展に大きく貢献していったのです。今日もギャレットは、ビールの限界に挑戦し続け、世界各国を旅する多忙な日々を送っています。